令和時代の千代田区について続きを考えてみます。

◎千代田区のルーツ 「お屋敷町」と「庶民の町」

エリア別に人口の推移を見る前に、千代田区誕生の経緯を振り返ってみましょう。現在の千代田区は、戦後間もなくアメリカ主導で再編され誕生しました。当時の旧麹町地区と旧神田区が合体して出来たのが現在の千代田区です。旧麹町地区エリアは現在の丸の内や大手町、永田町、霞ヶ関ですが、これらの地域は江戸時代に大名屋敷があった場所です。

そして旧神田地区は、庶民の町として商売が盛んに行われていました。
神田地区では、商業が小売業と卸売業の2業種に分かれてそれぞれ発展してきました。神保町の商店街、御茶ノ水の楽器街、秋葉原の電気街は小売業が集まった地域、神田の岩本町には衣料品の卸売業者が集まっています。

他には金物、医薬品といった特定業種の卸売を行っているエリアもあります。千代田区の卸売業は中央区と並ぶ問屋の集積地と言われており、現在この2区内には23区内の卸売事業所の2割以上があります。千代田区には、元々お屋敷エリアだった場所と昔から商売の盛んだった2つの地域があり、それらが一緒になって1つの区になったという経緯があるのです。

◎今後を握る神田エリア

このような2つの特性を持ったエリアが一緒になった千代田区内では、エリアによって人口の増加や減少に特徴があるのでしょうか。
千代田区の人口推移は、北側の日本橋エリア、南側の京橋エリア、隅田川対岸の佃・月島エリアの3つに分けてみれば、どの地域で人口が伸びているかが分かりやすくなります。2000~2010年の人口増加率は、日本橋エリアで105%、京橋エリアが70%、佃・月島エリアが51%でした。 日本橋エリアの中には、神田も含まれています。
旧商業地域だった日本橋エリアが現在も人口増加のポイントになる区です。日本橋は卸売業者が多かったエリアですが、時代と共に業者はそこに一緒に住み込んでいた従業員と共にエリア外へと移動していきました。その跡地にマンションなどの大規模住宅が建設されたことが日本橋エリアの人口増加率上昇につながりました。
今後もこのエリアの人口が増加すれば、千代田区の活性化につながるものと期待されています。

◎今後の街づくり

昼間区民の活力を利用し区の行政改革を行って生み出した財源を活用して、千代田区では独自性を持った施策を実行してきました。幼保一元化園の創設や区立の中高一貫高創設は、全て千代田区から始まりました。また高校生医療費助成制度の実施を大都市圏で最初に始めています。

将来においても、引き続き少子高齢化に対応すべく地域コミュニティの結束を深め、区内それぞれの地域にある魅力や特性、皇居を始めとした観光資源を存分に利用して住みよい街づくりを目指しています。

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